秘境と言われる西表島の中でも、さらなる秘境と言われる、舟浮に行ってきました。
舟浮に行くには、石垣港からフェリーで西表島まで行き、さらに船に乗る必要があります。
舟浮は西表島の一角にも関わらず、陸路で行くことができません。周囲を海とジャングルで囲まれているため、離島ではないのに船で行くしか方法がないからです。
しかしそれゆえ、離島よりもさらに冒険心をくすぐること必至です。今回の記事では、舟浮に行ってみてわかった、舟浮の魅力をお伝えしていきます。
目次(クリックで各項目にとびます)
白浜港から舟浮港へ
西表島西部にある集落「白浜」の白浜港から小型船に乗って舟浮集落まで行きます。航行時間は10分。
白浜港はとても広く、写真のように広大な駐車スペースがあります。日帰りで行く場合は、レンタカーをこの駐車スペースに停めて、船に乗って舟浮に行くことが可能です。
舟浮に宿泊する場合は、西表島・上原港からバスで白浜まで行き、船で舟浮に行くのが良いでしょう。
集落は小さいので、移動時間・滞在時間合わせて最短2時間ほどあれば行って帰ってくることができます。西表島観光のスケジュールに舟浮集落観光を組み込むのも良いと思います。
フェリーはおおむね2時間に1本航行しており、8時台・10時台・12時(13時)台・15時台・17時台…といった具合に、1日5往復しています。
例えば、写真の時刻表でいうと「15:50白浜港発の船に乗って1時間滞在し、17時10分の船に乗って帰ってくる」という強行スケジュールも可能です。舟浮は小さいので、30分もあれば集落内をまわれますし、1時間あれば美しい舟浮の名所「イダの浜」まで含めて、ざっとまわることができます。
しかしながら、時間を気にせず日常を忘れてのんびりと過ごすのが舟浮滞在の醍醐味ともいえるでしょう。コンパクトでゆったりとした雰囲気の集落なので、観光というより、何もしないで過ごすのがが一番かもしれません。
舟浮の民宿・かまどま荘
民宿・かまどま荘。ご主人がご自身で宿を建てたという、味のある民宿。
料理の美味しさが評判です。沖縄らしいこのような民宿は、生活感あふれる素朴な雰囲気や、民宿の人たちと交流することを求める人におすすめできます。滞在期間の数日間「集落の住人になりたい人」にとっては、最高の宿ではないでしょうか。
集落の風景
舟浮は、小さくてのどかな集落です。20分もあれば歩いてまわれてしまうくらいの規模です。住民は40名程度。
集落をのんびり散歩すると最高に癒されます。ゆっくりと時間が流れる西表の中でも、とりわけゆっくりと時間が流れる場所と感じます。
観光名所
舟浮にはこれといった目立った観光名所はありませんが、古びたそれぞれの史跡が、集落に溶け込んで良い味を出しています。集落の散歩がてら、きままに立ち寄るのにちょうどいい観光スポットが、集落内に点在しています。
東郷平八郎上陸の地
日露戦争・日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を打ち破り、日本を勝利に導いた、東郷平八郎が舟浮に立ち寄ったといわれています。このことについて書かれた看板があります。ほとんど消えかかっていますが、以下のように書かれていました。
「東郷平八郎上陸の地」~大将とラッキョウの秘話~
明治38年5月、ロシアのバルチック艦隊の撃沈の重任を負った東郷大将は、駆逐艦で台湾・宮古・八重山に立ち寄り、舟浮港では上陸され、学校を訪問。職員・村人・隊員を励まされ、帰りに立ち寄った民家(次呂久家)でお茶とラッキョウの接待を受けられ、同年8月に退任を果たされた大将は次呂久のばあちゃんにラッキョウのお礼のハガキを寄せられた。このハガキによって学校長も東郷大将であったことを知ったと、手記で述べている。
西表館・史跡保存会
この小さくのどかな集落に、巨大な駆逐艦が立ち寄ったと思うと感慨深いです。
戦地に向かう途中にお茶とラッキョウで接待をしてくれた「次呂久(じろく)のばあちゃん」に、大役を果たした後、丁寧に感謝の手紙を送った東郷大将。
これから巨大な敵国を相手に戦いを挑む東郷にとって、ばあちゃんの接待は心安らぐひと時だったのかもしれません。
「カマドマのクバデサー」と「殿様節(八重山民謡)の碑」
これは、舟浮集落のカマドマ(かまどま荘の由来)という八重山一の美女と、祖納集落から舟浮に通っていた石垣高瑞という役人(殿様というあだ名)の恋物語を歌った八重山民謡「殿様節」の碑です。2人は恋に落ちたものの、石垣は妻帯者だったため結ばれなかったという話を歌にしたものだそうです。
カマドマは、このクバデサー(モモタマナという種類の木)の下で殿様を待ち続けたといわれています。
イダの浜
イダの浜は観光客が少なく、プライベートビーチのように楽しめ、遠浅なので子供連れでも安心して泳げるようです。舟浮集落から歩いて10分くらいで行けます。シュノーケリングをすると、熱帯魚や時にはウミガメにも出会えたりするそうです。しかし海の家などは無いので、相応の準備は必要です。
イダの浜に向かうまでは、このような林道を歩いていきます。踏みならされて歩きやすい林道なので安心です。林道を抜けた先にイダの浜があるので、隠れた穴場ビーチに行く感満載でワクワクします。
セマルハコガメやキノボリトカゲに会えるかも?
この林道では、運が良ければセマルハコガメやキノボリトカゲなどの生き物に会えることができます。ビーチに行き来する際、木や地面を注意してみてみると、意外な出会いがあるかもしれません。
イリオモテヤマネコ発見捕獲の地
1974年(昭和49年)、イリオモテヤマネコが発見・捕獲されたという記念碑。集落内の民家で、ニワトリを襲っている動物を捕獲したところ、それがイリオモテヤマネコだったとのことです。
しかし実は1965年(昭和40年)に、すでに動物文学者の戸川幸夫氏らが発見しており(1967年新種認定)、この場所が最初の発見場所というわけではないそうです。
イリオモテヤマネコは、近年でも舟浮で保護されたりしています、さすが密林の中にある集落だけあります。
食べ物屋も自販機もある
ジャングルに囲まれた秘境集落ですが、食べ物屋さんも自動販売機もあるので安心です。
「ぶーの家」とは、ぶーという名前のこのお店の看板犬からとられた店名だそうですが、ぶーは残念ながら今は亡くなられてしまったそうです。
イノシシカレーやイノシシそばが名物のお店です。
学校もある!
なんと、学校もあります。小学校・中学校合同の「舟浮小中学校」です。
2020年8月現在、小学校1名、中学校1名だとか!。しかし学校存続のために、学校も住民も相当努力しているようです。このことについて書かれた八重山毎日新聞の記事を見てみましょう。
学校は1924(大正13)年の創立で、小中合わせて36人の児童生徒でにぎわった時期もある。ところが、復帰の72(昭和47)年を境にそれまで20人以上で推移していた児童生徒数が75(昭和50)年以降は9人に急減。83(昭和58)年には3人まで大幅減少した。この危機を救ったのが船浮にある琉球真珠の西表養殖場だった。22年前、プレハブの社員住宅を急ごしらえ、沖縄本島から子どものいる5家族を雇用、在籍は一気に19人に増え、学校や集落に活気が戻った。 しかし、2ケタを維持した児童生徒数はそう長く続かない。98(平成10)年からは10人を割り、その後、減り続けている。 昨年は中学校が在籍ゼロになる可能性が高まり、休校の危機に直面したが、住民の1人で元教師の池田豊吉さんが石垣から生徒2人を里子として預かり、ピンチを切り抜けた。
出典:八重山毎日新聞
移住者を呼び込んだり、里子を預かったり、一生懸命学校を維持してきたのですね…
航空写真を見てみると、集落の3分の1くらい小中学校で占められているんじゃないか、というくらい広いですね。
学校の存続の問題もあるし、職員より生徒の方が少ないというさみしさもあるかもしれません。しかし、この子たちは、広い校舎をふたりじめできて、さらにその広い校舎の周りには海と森が広がっているわけですから、ある意味とても贅沢な教育環境といえるのかもしれません。
終わりに
40人しか人が棲んでいない、小さな秘境集落・舟浮。
舟浮集落の文化や素朴な雰囲気は、未来永劫保たれるのでしょうか?。大手リゾート開発会社による土地の買い上げやホテル建設計画が話題になったこともあります(計画実行はハードルが高いとされてはいますが)。学校の存続だけでなく、約40人しかいない集落自体の今後は、どうなっていくのでしょうか?
未来のことはわかりません。しかしこの21世紀にも舟浮集落は存在し、住民たちはその暮らしを守るために一生懸命です。いつまでも今のままであってほしいと、この小さくも素晴らしい舟浮に滞在して、思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました。